理数男子のつぶやき

某大学に通っている理数男子が語ったり語らなかったり。ブログはあくまで個人の未熟な発言からできているのであしからず。

レポートを書いた記録[1年前期,スポーツ考現学]

 不定期で上げていく、自分が実際にに大学に提出したレポートを晒していくシリーズ。

 第3弾は、2018年度前期「スポーツ考源学」の最終レポートをあげてみようと思います。

 

問題 以下のテーマ(略)から、4つを選び記述せよ。
文字数制限:A43枚程度 かかった時間:4時間くらい
評定:A(優)

 

テーマ7  『スポーツ観戦学』 (世界思想社) 第7章「スポーツ中継のなかの『物語』」を読んでの、読後コメント

 この章では、橋本氏は「テレビ観戦の楽しみとはメディア側が出来事を取捨選択し、現実を再構成した『物語』を味わう楽しみとも言える」(橋本, 2010, p.163)と述べているように、テレビでのスポーツ中継には、実際に会場に足を運んで試合を見ることとは異なる、「物語」を持っているということを述べている。また、その「物語」とは「登場人物の変化とともに、時間的経過と因果関係が必要不可欠」(橋本, 2010, p173)と述べている。

 ここを読んで、私は最近の技術革新などによってこのような「スポーツの物語化」が進んでしまったのだと考えた。なぜなら、昔よりも現場で試合を観戦しない人が持っている情報量が増大したからである。

 日本初のスポーツ中継は昭和2年の第13回全国中等学校優勝野球大会のラジオ中継だった。その当時の情報量としては中継がラジオ放送だったために、選手がどのような動きをしているかなどがわかりにくく、交通網が未発達であったために、試合の結果などを書いた紙媒体などでしか情報を得ることができなかったため、かなり少なかった。しかし、昭和26年には日本初のテレビ放送によるスポーツ中継が行われ、人々の情報量を格段と増やした。テレビ放送は、ラジオ放送と違って耳と目という二つの感覚器官を使うことで、人々は選手の顔を見て、実際の試合風景を鮮明に見ることができるという点などについて多くの情報を与えた。現在においての例を挙げると、テレビのデータ放送が挙げられる。これは、野球のテレビ中継の最中においてボタンを1つ押すだけで選手の打順や守備位置はもちろん、選手データやチームの情報までを知ることができる仕組みである。このことからも、近年の情報技術の発達によって試合を見ることがなくても受け取ることができる情報量が格段に増えたことがわかる。

 また、多くの情報があることによって、スポーツの物語化が進んでしまった。橋本氏は、スポーツ実況において「過去」「現在」「未来」の3つの時間軸を行きつ戻りつしながら「物語」が構成される(橋本, 2010, p175)と述べているが、その実況における「過去」の面においては実況者や視聴者の知識を使い、試合の「未来」を推測することで「物語」が形成されていく。たしかに、箱根駅伝におけるテレビ放送では昔の映像や選手の経歴情報などの膨大に蓄積された情報から実況などを通じて「膨大な物語」を作り出すことによって、何時間も続く駅伝という種目を華やかに見せ、視聴者を飽きさせることがないような仕組みになっている。これは、メディアがスポーツを視聴者たちにわかりやすくさせようとしたばかりに、近年の情報技術により、映像・画像・音声などの媒体を用いて未来を予想することにより、「物語」を生成してしまった。

 

テーマ2 スタジアムの第1~第5世代におけるそれぞれの特徴

 第1世代スタジアムとは、観客収容能力に力点を置いたが、施設のクオリティや、快適性への関心は最小限に抑えた巨大(楕)円形競技場のことである。このスタジアムがあった時代では、通信手段などが未発達であったため、スポーツ見るには、そこに行ってスポーツを見るしかなかった。よって、第一世代では、スポーツに関心がある人は全てスタジアムに行くため、できるだけ観戦料を徴収しようとした設営者は、主に観客収容能力に重点をおいた。これは、観客としては施設内が暑かったり寒かったりしてもそこで観戦するしか選択肢がないため、施設の構造について文句を言うことができずに、問題視されることはなかった。

 第2世代スタジアムとは、テレビ放送が開始されたことから観客減少を食い止めるために、第1世代と違って施設の快適性や、飲食用の売店設備の向上によって作られたスタジアムである。第一世代スタジアムでは、スポーツを見る際にはそこでしか見ることしか選択肢がなかったが、テレビ放送の普及によってスタジアムよりより快適な自宅等の場所において試合を見るようになった。そこで、飲食の売店設備の向上などの快適性や、大きいスクリーンなどを設置することで、そのスタジアムにしかない「特殊性」を高め、テレビ放送に移った観客を取り戻していった。

 第3世代スタジアムとは、第2世代よりも施設の快適性を高め、スタジアムに来る家族全員に魅力的であるようなスタジアムである。当初は、スポーツとは男の文化であった。例えば、古代ギリシャなどの古代オリンピックでは、選手は男性のみの上、既婚の女性は観客席でさえ立ち入ることができない女人禁制のスポーツの祭典であり、相撲でも男性専用のスポーツだという固定観念を持つものも多い。このことからも、スポーツとは、男の文化であることがわかる。また、観客収容能力に重きをおいた第1世代と比べ、スポーツが大衆化したことから観客が収容しきれなくなり、テラス席を廃止してすべて座席にするなどの処置をせざるをえなくなった。

 第4世代スタジアムとは、メディアと企業などとのスポンサーシップを意識したスタジアムである。スタジアムの建設者は、第2、3とスタジアムの改修をしていったのだが、物価の高騰などにより改修する資金もないため、資金難に追われた。そこで、建設者はスポンサーなどを介して資金を調達するようになった。それによって、巨大な広告看板などが増え、スクリーンなどにも技術革新によるCMの挿入などをするようになった。また、そこにメディアなども入り、テレビ写りや写真映えが良い照明や聴覚関連設備が整備されるようになった。

 第5世代スタジアムとは、新しい都市の創造や既存都市の再活性化を見据えた、第4世代までと違う街中にある機能重視型スタジアムである。今までのスタジアムでは、土地の関係上、都市の郊外に設置されていることが多かった。そこにおいて、試合がないときにはスタジアムは閑散としていた。そこで、試合がないときでもそのスタジアムが有効利用できるように、衣・食・住機能を兼ねそろえた施設やレジャー施設を併設することで、スタジアムの有効活用ができ、町おこしなどの地域全体を挙げた催し事などから地域貢献をすることができるようになった。

 

テーマ3 スポーツ観戦空間のパースペクティヴ 

 私は、スタジアムをはじめとしたスポーツ観戦空間は、一種の「聖地」であると考えた。その理由として、そのスポーツ観戦空間は一般的な施設と違い、「聖なるもの」としてみることができるからだ。

 この意見に対し、橋本氏は「スポーツは根源的に宗教的な深い自然衝動が動作となって表出したものであり、スポーツ観戦にも自由の衝動、完璧な儀式への敬意、象徴的意味への強い関心、完全なるものへの熱望が存在し、それを表現する様々な方法がある。」(橋本, 2010, p16)と述べているように、スポーツ観戦には、宗教的な「衝動」、「敬意」、「熱望」という側面から宗教的な側面があることがわかる。よって、これらの側面からスポーツ観戦空間が聖なるものであることを考察していく。

 宗教的な「敬意」という側面については、スポーツの神聖な力から考えることができる。スポーツというのは決められた空間の中において、決められたルールのもとで行われるものである。言い換えれば、スポーツとは、その空間内においてなら、宗教の規則が政府や社会の規則を超越してしまうように、スポーツのルールが社会のルールを超越して行動を起こすことができる。例えばプロレスでは、試合中のリングの中では普通に人を殴り、人を痛めたりするつけることができる。これは現在の社会では到底受け入られないものであるが、その会場では、美しいもの、素晴らしいものだと社会とは真逆の評価が得られる。これは、社会のルールが通用しないスポーツ空間においてのみにおいて適応されるものであり、一つの宗教空間と考えることができる。

 宗教的な「衝動」や「熱望」には、スタジアムというスポーツ観戦空間の神聖さから考えることができる。スタジアムという神聖なる空間は、人にその空間の外において影響を及ぼす。例えば、スポーツを見に行こうとする観客は交通機関などを使ってスタジアムに向かうのだが、街の通りにある垂れ幕、チーム色でラッピングされた電車やバスなどの乗り物、同じユニフォームを着た通行人などを目にすることにより、未だスタジアムにつかなくても気分を高揚させることができる。そこから、私はスタジアムに向かっているのだという情緒と場所が結びつけられた愛が湧いてくる。その空間の外面に対して、スタジアムの内面に入った時には、より神聖さをうかがうことができる。その周りにいる同じ信条を共にする仲間たちの対話、そのチームの応援歌やコールの聴覚的な刺激、その場でしか食べることのできない弁当などの食べ物や飲み物の味などの味覚的な刺激をはじめ、人間の五感全てが刺激される。そして、五感が刺激されることにより、人は強い衝動を覚える。そこから、人はスポーツ観戦空間への熱望が湧き、スポーツ観戦空間という完成した空間への宗教的な帰属意識が生まれる。

 このことから、スポーツ観戦空間とは神聖なものであり、そこでは人々はその空間に対し、スタジアムの内外に散りばめられた様々なアプローチから熱中し、敬愛する。そして、将来的には聖地化したスタジアムがその地域においてのシンボルとなり、スポーツ文化がより発展した将来になるのであろう。

 

テーマ4 文化としてのスポーツの必要性と重要性

 私は、文化としてのスポーツについては人々の関係をよりよくするために必要であると考える。なぜなら、人はスポーツに触れることで人と接する機会を持つからだ。

 まず、文部科学省が出しているスポーツ基本法の前文では、スポーツに対して「スポーツは、次代を担う青少年の体力を向上させるとともに、他者を尊重しこれと協同する精神、公正さと規律を尊ぶ態度や克己心を培い、実践的な思考力や判断力を育む等人格の形成に大きな影響を及ぼすものである。」(文部科学省, 2013, p.1)と定義しているように、スポーツには他者を尊重し、共同活動をしようとする精神等を培うことができるものである。そこで、人間関係について「社会的・政治的な側面」と「生活的側面」について議論していく。

 まず、政治的な側面において、人間関係はよくすることができる。スポーツの世界に社会的な地位や身分が存在しない。スポーツを「見る」ことの視点の例では、古代オリンピックではオリンピックを行う間だけ戦争を休戦して各国でチームを選抜し、お互いが同じフィールドで対等に競い合うことができたことからも、たとえ各国が緊張関係であったとしてもその時だけ社会的地位を忘れて競技に臨めたことが挙げられる。また、スポーツを「見る」視点からも、2018年のロシアで開催されたW杯の開幕戦では、ロシアのプーチン大統領サウジアラビアのサルマン皇太子が同じ部屋で試合観戦をした。これは、両者が対等な立場でスポーツを観戦することにより、その場だけ社会的地位を忘れ、対等で友好的な人間関係を形成することができた例である。よって、政治的な側面についてはスポーツを介して他者を尊重し、人間間の緊張関係を和らげ、人間関係をよくすることができる。

 また、生活の側面からも人間関係をよりよくすることができる。スポーツの文化的機能として、「豊かな交流」という面については、スポーツというのは「する」、「見る」のどちらにおいても他者を介して行うことにより、人間関係を醸成することができる。「する」という面においては、人は試合や練習をする際に他社との交流を通じて、自分がうまい、下手だという自己を相対化してものを考えることができる。そこから、自己のアイデンティティを確立するとともに、相対化した視線を用いて他者を尊重することができる。また、「見る」という視点については、例えば同じチームを応援する際に、他社との会話を通じてそのチームや個人の魅力を伝えあうことで、他者の視点を知ることができて同じチームの応援団として共同し、人間関係を構築することができる。

 よって、このことから文化としてのスポーツは人間関係の構築や、自分自身の構築において必要性、または重要性があることがわかる。

 

参考文献:

・橋本純一(2010)『スポーツ観戦学』世界思想社

橋本一夫(1992)『日本スポーツ放送史』大修館書店

文部科学省(2013)『スポーツ基本法』 閲覧日時:2018年8月2日

URL:http://www.mext.go.jp/a_menu/sports/kihonhou/attach/1307658.htm