オタクはVtuberの「解釈違い」に苦しめられる[日記#1]
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※注意※
大学生なので、おそらくレポート風になっている文章だと思います。
読みづらかったらすいません…
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最近のTwitterトレンドに上がって自身も驚いた「キズナアイ」騒動。
その内容としては、初期ボイスのキズナアイ(以下、初期モデルと述べる)が、「キズナアイ」という個体の分裂について生放送中に言及したり、運営会社が声明を発表したりしたというものである。
また、Vtuber関連の話題としては、「ゲーム部騒動」が挙げられる。
nlab.itmedia.co.jpここで疑問になるのは、なぜこれらの問題について炎上してしまうのか。
「二次元のキャラ*1がしゃべったり動いたりする」という観点で言えばアニメが挙げられるが、アニメに関しては声優変更に対して必ずしも否定的に捉えられることはない*2。それを考えると、Vtuberならではの特殊性がこのような炎上を引き起こしているのではないか?と考えた。
今回は、アニメとVtuberについて比較したのち、この混乱はなぜ、どのように起こるのかについて考えてみる。
あと、この記事に意見をくれたDさん(仮称)に感謝を。
自分のVtuber略歴
一応簡単にいっておく。
キズナアイの〇〇先輩発言事件によりVtuber関連に興味を持ち始める。
電脳少女シロ(放送事故により全部は見てないが)→ときのそらの生放送を見始めたことがおそらく馴れ初め。
そこから、インターネットの掲示板に約3か月張り込むとともに、どっぷり浸かる生活に。
今の推しは、PPH,ぽんぽこ,クゥフランゾーパー,キランユウ,赤月ゆに,あんたま。
一番の推しは、絶対天使くるみちゃん(だった)。
用語の定義
バーチャルユーチューバー(Virtual Youtuber)の略。アニメの登場人物のような架空のキャラクター(アバター)を用いて、Youtubeなど*3の動画配信・生配信サイトで活動をする人のこと。
現在の傾向では、Vtuberは動画配信よりも生放送の配信をしている*4傾向があるため、今回は「Vtuberは生放送をしている」ということで論じたい。
・魂
Vtuberの「中の人」のことを指す。
ふつうは一般人がその場合が多いが、有名声優などの芸能人が中の人をやっている場合もある。
・ガワ、受け皿
いわゆる「魂」との逆の意味。Vtuberの「外見」。
外見の作り方として、有名絵師に依頼して制作したもらったり、キャラをカスタマイズするサイト*5を利用して作ったり、はたまた自分で作ったりすることなどがある。
また、これらは人間に限らず恐竜、魔王、生き物などのキャラも制作されるなど、多岐にわたる。
・企業系Vtuber
にじさんじなどの企業、又はサークルが運営するVtuberのこと。企業内のつながりをスタッフが取り持ってくれることが多いため、コラボ配信など企業内のVtuber同士の団結力が強いのが特徴。
対義語として、個人系Vtuberという用語も存在する。
アニメとVtuberの類似点と違う点
類似点
・中の人と受け皿が存在する
三次元の世界とは違い、中の人と受け皿が別々に存在している場合が多い。なので、キャラ自身に設定・解釈を与える場合がある。なので、中の人も受け皿に合わせようとする場合が多い。
また、中の人と受け皿が同じ場合が同じ場合もあるが、それらは一般的に親しみやすいように美化されている変化が起きている場合が多い。
・現実で触れることができない
アニメにおいても、Vtuberの存在する世界は基本的に「画面の中」にいるため私たちは触れることができない。よって、私たちの間には「画面」という隔たれた絶対的な壁が存在する。
違う点
・(アニメ)中の人自身もメディアに出る場合が多い
Vtuberは普通、一般人が中の人になるため基本的には「わからない」や公表されないのが普通である。それに対してアニメだと中の人、いわゆる声優のブランドもかかわってきたりする場合も多い。時には、アイドルマスター(765)においてアニメ内では「プロデューサー」としか名前がないのに、私たちは声優の赤羽根さんに対して「赤羽根P」と呼ばれるように、声優の名前がアニメに投影される場合もある。
・(Vtuber)視聴者との距離が近い
アニメは基本的に「台本通り」のキャラを演じることが要求される。そして、その「アニメ」という箱庭の中でキャラが動くため私たちは親近感を覚えづらい傾向がある。
それに対してVtuberは、一般的には普通のYoutuberと動画にする内容が同じであるため、アニメと違って私たちの日常生活に即した動画内容をあげがちである。なので、私たちはそこに親近感を感じることができる。
またVtuberは生放送が多く、私たち視聴者のコメントに対してレスポンスを返してくれる点も親近感を感じるポイントの1つであると考える。
・解釈の与え方が違う
ここが一番伝えたいポイント。
アニメは、基本的にはキャラが「箱庭の世界」で生きるという性質、台本の世界で生きている性質がある。そして、キャラの性格は監督や作者が与えるものである。
そして、そのキャラたちは「有限」の情報を持つ。例えば、アニメであれば30分×12話分の情報しか与えられないし、小説や漫画の媒体においても発行された巻数分でしか情報がない。そして私たちは与えられていない空白の情報に対して「解釈」を与えることで物語を補完している。
対して、Vtuberは基本的にはキャラの性格などは「魂」自身が動画や生放送を通じて意味を持たせていく。もちろん、Vtuberの中にも製作者や会社がキャラの意味を持たせる場合もあるが、特に生放送やTwitterみたいにキャラの設定の隙が生まれやすい場を作った場合、特段の注意が必要になってくる。
また、Vtuberは引退しない限り「無限」の情報を持つ。特に、生放送の雑談枠*6では、視聴者に委ねられた情報である「解釈」に対して、Vtuberは「情報」という不変な情報を与えてしまう。なので、Vtuberはアニメや漫画よりも人物像がより強固なものになってしまう。
解釈違い?
やっと本論。
今回の炎上の原因の1つとして考えられるのはオタクの「解釈違い」が挙げられる。
理由としてVtuberは自由に解釈できる幅が少ないので、私たちは「魂」が変わるということに関してかなり敏感になるからだ。
Vtuberに対し、オタクは3つに分類することができる。
・中身を重視する人
・外見を重視する人
・中身と外見の繋がりを重視する人
その3つに対し、解釈違いをどのように起こすのか考えていく。
①中身を重視する人
極論を言えば、「外見が違っても魂は同じだからそれでおっけー!」という人である。
この人たちは、外見の情報を重視しないので魂が同じであると認知すれば、解釈違いを起こすことは少ない。
よくVtuberで「魂ガチャを当てた」というが、完全にその人たちが中身を重視してるよなぁ…
ex) 天開司(元:微糖カイジ)
天開司とは (テンカイツカサとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
微糖カイジとは (ビトウカイジとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
このキャラは、微糖カイジが著作権的にアレだったので名前やキャラを変えて再始動したものである。
このキャラが、キャラを変えてでも売れた理由として、ファンは「魂」が面白いから売れたからであろう。ということは、分類1のファンが多かったから売れたからではないだろうか。
もしこのファンが分類2であった場合、このキャラは売れなかったであろう。なぜなら、「カイジ」が好きなのであって別のキャラで売り出すことになったら売れるはずもなかったはずなのであるから。また、分類3であると仮定しても「俺の思っている外見と違う」という解釈違いを大いに起こしていないという点を考えれば仮定は棄却されるであろう。
②外見を重視する人
外見に重点をおいている、例えば会社などの与えた設定に興味がある、もしくは愛着のある外見が好きであるという人が好む。
要するに、外見が同じなら中身の人は誰でもおっけー!の精神である。
例2:天目童心プロジェクト byつのはねあかぎ
VTuberプロジェクト「天目童心」が始動 Activ8・バーチャルクリエイターつのはねあかぎがプロデュース | MoguLive - 「バーチャルを楽しむ」ためのエンタメメディア
かなり最新の話になるが、つのはねあかぎ氏は今までに蓄積してきた設定を駆使して、トリトイなどのキャラを作り出した。このプロジェクトの売りの一つとしては、「物語としてのVtuber」である。要するに、従来のアニメ好きはここに重点を置くと考えられる。
ということは、Vtuberの魂が設定を無視する、もしくは解釈を設定を確定させる行動を起こした場合、私たちは「解釈違い」を引き起こす要因となる。
ここの件に関しては、漫画やアニメの解釈違いとほとんど同義であるのでわかりやすいかと思う。
一応、有名なヒプマイ騒動に関して述べているブログとか見ると面白いかも。
例3:電脳少女シロ
新衣装お披露目にサプライズも? 電脳少女シロの誕生日記念生放送が8月12日20時から開始 | MoguLive - 「バーチャルを楽しむ」ためのエンタメメディア
最近になって、毎季節恒例の衣替えが起こった…のだが電脳少女シロの微整形も行われた。これに関して、私は「解釈違い」を起こした。
そう、「目の形がちょっと変わった」のだ。
私は「これは電脳少女シロじゃない」と痛感したのだ。
申し訳ないが、今はその解釈違いをおこして動画を見られないまでになった。
③中身と外見の繋がりを重視する人
分類1と分類2とは違って、「このキャラにはこの人しか合わない!」という考え方の人である。一番厄介だと思う。
例4:富士葵
「かわいくない」と言われ…… バーチャルYouTuber「富士葵」がイメチェンのためクラウドファンディング - ねとらぼ
例えばこれ。富士葵がこれを受け入れられたのは分類3の人が少なかったからだと考える。しかし、「彼女とこの素体の繋がりに愛着がある」と回答した人たちがいるとおり、分類3のファンも少なからずいたはずだ。
キズナアイ騒動とゲーム部騒動を枠組みにはめて考える
では、ファン層を3つに分類してキズナアイ騒動とゲーム部騒動を分析してみる。
Case1.キズナアイ騒動
この炎上元は分類3のファン層だと考える。
今までは、キズナアイの素体1つに対して魂が1つとなっていた。しかし最近では、キズナアイの素体1つに対して魂は4つに分裂した。ここで「解釈違い」を起こす要因として、
「初期モデルはそんなことを発言しないよ!」
「なんか思っていることと違う…」
ということが挙げられる。
つまり、「キズナアイの素体と魂」が固定化されてしまっているということになる。
Case2.ゲーム部騒動
この炎上元は分類1か分類3のファン層だと考える。
「このキャラの声が違う」という解釈違いを起こすのは分類3の問題である。
これも今まで「このキャラにはこの声」と固定化されていた考えに対し、声が変わったことによる混乱を招いてしまったのは、分類3の人だからそうなってしまったのだ。
道明寺に関しては、「魂だけでもにじさんじやアップランドに来てくれないかなぁ」という考えが出ていることを考えると、完全に道明寺というキャラも確かにかかわりがあったことも考えれば分類3かもしれないが、主としては分類1に問題があるだろうと考えられる。
おわりに
自分自身もキズナアイ騒動、ゲーム部騒動で「Vtuberってなんだ…?」って考えた人間である。今回は、なぜそのような混乱が生じるか?ということについて述べた。
ここでは、その考え方を考えるだけで精いっぱいであって解決策や結論らしい結論を述べることができなかったが、いずれは考えてみたい話題である。
その考えを分析してみると、やはり「運営側」と「視聴者側」の考え方に乖離があるようだ。そして、運営側はかなり難しい考え方をしているようだ。*7
例えば、「ゲーム部」における「物語」としてのVtuberのありかたや「キズナアイ」における「分人」の考え方である。
この内容においては「こんなん俺の考え方じゃねぇ!」と自分の世界から棄却すればいい話と言っちゃえばそうなのだが、一般社会ではその考え方は受けいられるべきなのかについては考えれば面白いかもしれない。
時間があれば、考えてみたい話題である。