「クァンダ」は数学教育にどうもたらすか?
数学の問題を解く際に、「わからない」問題があったとする。
その時、貴方はどのようなアプローチをするだろうか?
一番手っ取り早いのは問題の解答を見るという行為である。
そこには問題の解答が書いてあるので、わからない問題に対してのアプローチを与えてくれるだろう。また、もし解説などが書いてあったら「こう筋道を示してくれるのか!」と納得することができるだろう。
しかし、もし解答がなかった場合はどうするだろうか。
その場合、自力でどうにか解ければいいに越したことはないのだが、普通の人たちは解答をどこからか持ってくるであろう。例えば、他人や先生に聞くということがあるし、自分の検索技術を駆使して、類題を他の問題集から引っ張ってきてそれを模倣することもあるだろう。
しかし、「他人に聞く」「問題の解答を別の本から引っ張り出してくる」と言うのももう過去の話になりつつある。
その理由としては、ネット技術の進展によりインターネットで検索すれば問題が出てくるようになったので、自分から他人へ、自分から図書館や本に行きつく手間が省けるようになったからである。
現代における数学に関する問題の解決法
ケース1.計算問題
数学の問題としてまず一番に上げられるのは計算問題であろう。
例えば、簡単なところで言えば「足し算」「引き算」「掛け算」「割り算」などから、難しく言えば「方程式の計算」「微分・積分」まで多種多様である。
その時、使うソフトとしては、以下のものが主流ではないだろうか。
①電卓
やはり、単純な計算をする際には電卓は欠かせない。
実際、自分も「四則演算の能力が主として問われていない」というのを条件に*1よく使う。
②Photomath
これは最近(といっても2年前?)出てきたアプリで、カメラで写した数式を文字に書き起こして、その数式の解答と途中式を出してくれるというアプリである。
しかもこのアプリは無料なのである。恐ろしい…
引用:https://www.youtube.com/watch?v=T41t8zfjVng
カメラでうつすだけで解答を出してくれる上、解法を出してくれるので計算をしたくない人にとってはとっておきのアプリである。しかし、このアプリは発展途上でありかなり難しい高2~レベルの計算になると解答が出てこない場合もある。
③Wolfam Alpha
ネット上で出てくる「計算知能」というやつである。
これに関しては、画像認識はできないのだが基本的にどんな数式を打ち込んでも答えを返してくれる優れものである。実際、大学生の計算レベルになるとこのサイトに計算式をぶちこむ人が出てきているらしい。
なお、解答を出すことに関しては無料なのだが、解法や途中式を出すのについては有料コンテンツとなる。
正直言うと、現代において計算できるという技能は昔と比べればちやほやされなくなっている。理由としては、それらの技能はAIやパソコンのほうが優れているからである。
そのことを考えると、計算に関して学生のうちから「パソコンに任せる」という態度を全否定することはできないのではないだろうか。*2
ケース2.文章問題
次は、文章問題である。
基本的に、計算問題はできるという前提の下で文章問題が出題される。
先ほどの計算問題はパソコンに任せる部分があってもいいのではないかと述べたのだが、文章問題に関してはパソコンに解くことは難しいとされている。*3よって、ある意味現代における数学教育の真骨頂はそこではないかと思う。
しかし、文章題においてもパソコンが使える時代がぼちぼち来つつある。
文章題を解くときに使うサイトは以下のとおりである。
問題文をそのままコピペして、それに類似する解答を見つけてくるという方法である。また、同じような質問がない場合は自分で質問するというのも良いだろう。
よって、検索すればすぐ出てくるという利点はあるのだが、逆に解答は素人がやっている可能性があるという点には留意しなければならないし、質問に対する回答が自分にとって適切でない場合もあるだろう。例えば、解法が自分の知っている領域外の解答だた、感覚的に解答をするので結局何を言っているのかわからない、等。
よって、完璧なサイトではないことが分かる。
となると、数学の問題はやっぱり自分で考えて答えを出したり、先ほど書いた古典的な方法で解答を見つけないとなぁ…
とはならないのが現代である。
恐ろしきクァンダの登場
2018年11月、とある会社がリリースしたアプリが始まりである。
引用:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000002.000044389.html
◆アプリの概要
クァンダは2018年11月、質問の解答がリアルタイムでもらえる質問解答サービスをリリースしました。当アプリは本来、学生が分からない問題の写真を撮ってクァンダにアップすると、東大、京大、東北大など難関大学の先生たちがリアルタイムで解答するサービスでした。先生に直接質問することが難しい学生のが多いことから、モバイルで分からない問題を解決できるサービスが効くと判断しました。引用:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000002.000044389.html
このように、クァンダは数学の問題の解答を難関大学の先生たちがリアルタイムで回答するというサービスを始めた。(本当に難関大学の"教授"がそんなものに参加するのかは些か怪しいが)
これは、「難関大学」とか言ってるのだから質問の難易度も高いし、おそらく生徒の質もかなり高かったのではないかと推測できる。
しかし、そのレベルを一気に下げる革新的な出来事が出てきた。
◆革新的な検索機能が追加
クァンダは今年の3月には5秒で数学問題の解説を検索できる検索サービスを導入しました。学生は分からない問題の写真を撮って検索すると5秒で該当する問題の解説を無料で見れます。今までになかったサービスに学生は“とても便利”、“一人で勉強するときは神級だ”などのレビューを残し、Twitter上でもクァンダについてツイートをするなど爆発的な人気を得ています。引用:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000002.000044389.html
人工知能が類似した問題を引っ張ってくるという機能が追加されたのだ。
今まで「人と会話する・本を見つけてくる」ということが、このアプリによって消し去られようとしているのだ。
数学の教員を志している私からしたら、この問題はかなり深刻だと考えている。
その理由としては、数学を学ぶ意義と密接に関係している。
数学を学ぶ意義は?
数学を学ぶ意義としては、中学校の学習指導要領*4にはこう書かれている。
◆数学的活動と数学を学ぶことの意義
数学は,問題を発見して解決し,それらを振り返りながら,更に考え続けることで発展をしている。数学を学ぶことは,問題を発見しそれを解決する喜びを感得し,人生をより豊かに生きることに寄与するものと考えられる。また,これからの社会を思慮深く生きる人間を育成することにも大きく貢献すると考えられる。数学の学習では,主体的に問題発見・解決の過程を遂行すること,そして,これを振り返って言語としての数学で表現し,意見の交流や議論などを通して吟味を重ね,更に洗練させていくことが大切であり,ここに数学的活動の教育的意義がある。数学の学習は,こうした活動を通して,数学や数学的構造を認識する過程と捉えることができる。これらの活動を振り返りながら数学的認識を漸次高めていくことは,自らの知識を再構成することにほかならない。こうした経験によって得られた知識そのものにも価値があるが,その際に身に付けた知識を獲得する方法,また,知識を構成する視点も重要である。これらは新たな問題解決の有効な手掛かりとなり,新たな問題の発見につながるとともに,新たな知識の獲得を促す源となる。このように新たな知識の獲得や認識の深化は,自らの活動による経験に応じて成されるものであることから,数学的活動を充実し,問題解決に取り組むことができるようにすることが大切である。
引用:中学校学習指導要領(H29)解説,数学編 p32-33
このように数学を学ぶ意義としては、「主体的に問題を解決する姿勢」「言語としての数学を表現する」「意見の交流や議論などを通して吟味を重ね,更に洗練させていくこと」が重要なのであり、決して数学の問題が解けるようになったからといって数学教育として完成したということではないのである。
しかし生徒からしたらそんなのはどうでもよく、「数学の問題が解ければ先生も気分がいいし、私や親も気分がいいからいいや」となってしまう。
しかし、上記のように「数学の問題をただ解く」というだけでは今やどうでもいいものになりつつある。そこの価値観の転換ができればいいのだが…
なぜそうなってしまったのか?
理由としては、「数学の文章題が単純である」という点が挙げられるのではないだろうか。例えば、「〇〇の方程式を解け」や、「関数△△の最大値を求めよ」などのいわば「ベタ問」が挙げられる。
実際、東ロボくんは国語などの文章問題に関してはまだ回答ができないのに対して、数学や世界史は問題が単純であるので解答ができたというのだ。
と言うことは、「ベタ問」ばかりを解いてきた教育法から転換することを余儀なくされているということが分かる。果たしてそこからどう転換していくべきなのか、現代に適合した数学教育とはどのような姿なのかについては、学生である今において考えるべき問題の1つだとは感じている。
まとめ
最近、テクノロジーの進化によって数学では「計算ができればいい」「数学の問題が解けるだけでいい」という考え方は古く、適応しない考え方だと感じている。
実際、それらの機能は「Photomath」や「クァンダ」などのアプリにとってかわられている現状がある。
しかし、数学教育のゴールはそれではなく「自分・他人との会話を経て考えて答えを出す」というのが1つの考え方であり、それらについては様々な議論が起こっている。
実際、クァンダのGoogle Playのコメント欄には以下の指摘があった。
引用: https://play.google.com/store/apps/details?id=com.mathpresso.qanda&hl=ja
このアプリを提供するほうからしたら「資本を増やす」ことが目的だと考えると、このような指摘はどうでもいいように見えるだろう。このようなアプリや、今問題になっている塾と学校教育とのかかわり方については再度考え直す必要があると考えている。
現在では、「学校なんかいらない!」といったようなYoutuberがいるくらいであるし学校としての在り方が問われている時代に入ってきたと考えられる。
よりよく、未来を担っていく若者を育てていくためにもこの問題を機に学校教育を考え直していきたいものである。
参考文献: